広島高等裁判所岡山支部 昭和46年(ネ)59号 判決 1975年9月19日
控訴人
赤松庄吉
控訴人
牛川弘行
右両名訴訟代理人
岡崎耕三
外三名
被控訴人
黒崎綾子
外六名
以上七名訴訟代理人
楠朝男
外一名
主文
原判決を取消す。
被控訴人らの請求を、いずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実<省略>
理由
一控訴人赤松が被控訴人らの先代亡黒崎末吉から本件係争土地を昭和二二年一二月一日被控訴人主張の条件(但し賃料はその後順次値上げされ昭和四二年一一月当時月額四、〇〇〇円であつた。)で賃借し、同地上に原判決添付別紙目録(二)記載の建物を建築所有していたこと、末吉は昭和三八年一一月二五日死亡し、被控訴人らが相続により共同して本件土地の所有権並びに賃貸人の権利義務を承継したこと、昭和四二年一一月三〇日本件賃貸借契約の期間が満了したこと、本件土地は岡山市特別都市計画による区画整理により被控訴人ら主張のとおり仮換地の指定がなされたこと、控訴人赤松所有の右建物が昭和四六年三月岡山市長の代執行により別紙目録(一)記載の仮換地上に移築され、別紙目録(二)記載の建物となつたこと、右期間満了の翌日の昭和四二年一二月一日控訴人赤松より右賃貸借契約の更新を請求したのに対し、被控訴人らがこれを拒絶したこと、及び控訴人牛川がその後も本件建物に居住し本件土地を占有していること、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二そこで被控訴人らの右賃貸借契約の更新拒絶につき正当事由が存したか否かにつき検討する。
先ず被控訴人ら側の事情としては、<証拠>を総合すると、本件土地を含む被控訴人らの所有地は通称千日前商店街なる繁華街に面し、そのうちの裏側の土地は以前から数名の第三者に貸地していて控訴人らが使用できるのは表通(千日前通)に面する約四五坪で、北から控訴人赤松の本件借地、被控訴人孝昭のカメラ店、続いて被控訴人綾子の経営する自転車預り店が並んでいること、右カメラ店は間口一間半、奥行二間(約四坪)の平家で、カメラ等の販売、現像焼付の営業としては狭隘で商品の陳列や現像器の据付けに十分でなく、月一五万円の収益を上げていたが、被控訴人孝昭としては売上を伸ばすため店舗を拡張する必要を感じていたこと、又右自転車預り店は約三〇坪あり、末吉の存命中は同人が自転車預り業を営んでいたのを、その死後は被控訴人綾子が引継ぎ、その収益に同人及びその二子の生活を依存し、右自転車預り店の二階に被控訴人孝昭一家とその妹、並びに被控訴人綾子一家の合計八人が一諸に居住していたこと、裏側の土地の大半は以前から(終戦直後から)田村、近藤、富田、川西らの者に貸渡し賃料収入を得ていたが、これらはいずれも期間が満了せず、明渡請求ができない事情にあること、然るに昭和四二年一二月後も本件土地の返還を受けられないで経過するうち、昭和四六年三月前記のとおり本件建物の移築が行われ、そのころ被控訴人らも旧建物を取毀して右仮換地上に控訴人主張のA、B建物を建築したこと、その結果被控訴人らのA、B建物の使用状況は控訴人ら主張のとおり(別紙図面参照)になり、被控訴人孝昭のカメラ店も売場面積約七坪(暗室を含めて約一〇坪)に拡張されたこと、それでもなお岡山市内におけるカメラ店としては狭小な方で、売上も左程の伸びがなく、仕入先からも店舗の拡張をすすめられていること、右カメラ店を拡張するとすれば、これに隣接して表通りに面する本件士地の明渡を受けるのが最も好都合であること、以上の事実が認められる。
次に控訴人側の事情としては、<証拠>を総合すると、控訴人赤松は市内小橋町で別に酒店を経営しそこで起居しているが、戦災復興途上で附近に未だ建物も疎らな頃に本件土地を末吉より借地し、一階を店舗とし中二階を住居用とする本件建物を建て、これを自己の酒店を手伝う妻の妹、一宮タカ子に月一万円の賃料で賃貸したこと、一宮は昭和二五年煙草の、昭和三二年酒類販売の各免許を得て本件建物で酒、煙草の小売業を営み、但し一宮自身は別の家に老父と二人で住み、本件建物には実妹牛川照代を二五年頃から、その夫の控訴人牛川弘行を昭和三〇年頃から本件家に住み込ませて営業一切をまかせ、照代に月一万円、弘行に月四万円の給料を支給していること、同店の年間売上は二千万円に上り、その一割位が純益となり、これによつて一宮自身と老父の生活並びに控訴人牛川一家(子供二人)の生活が支えられていること、控訴人牛川は、本件建物入居前は指物大工をしていたが、既に四〇歳半ば過ぎの年齢から最早以前の指物大工に復帰することは困難であり、他に資産もないことが認められる。
右認定事実によれば、被控訴人孝昭においてカメラ店を拡張して収益の増加をはかり、そのために本件土地の返還を求めるのも無理からぬ点があるということができる。そしてその必要性は本件賃貸借契約更新拒絶のなされた昭和四二年一二月当事においては極めて切実なものであつたと認められるのであるが、前記認定のように昭和四六年春頃の建物新築以後においては、その必要性は相当程度緩和されたことも否めない。もとより更新拒絶の正当事由の有無の判断は、拒絶当時を標準としてなすべきものではあるが、本件においては、当時すでに右土地の仮換地指定がなされて数年を経過しており、その後三年余りで前記のような建物新築の挙に出たことに徴し、被控訴人らとしては当時すでに現在におけるような土地利用の可能性を有していたものとみることができるのであるから、右更新拒絶当時このような可能性を有したものとしてその後の事情をも併せて考量するのが相当である。他方控訴人赤松は前記のように親族関係にある一宮タカ子及び控訴人牛川夫婦をして本件建物において過去一〇数年に亘り前記営業に当らせ、その生活の本拠たらしめていて、若しこの土地を明渡すならば、直ちに同人らの営業の場を失わすのみならず一家の住居に窮する結果に陥らざるを得ない状態にあることも明らかである。たとえ被控訴人らが控訴人らから本件土地の明渡を受けて店舗を拡張する計画が一頓座を来たしたとしても、所詮それは営業利益の拡大が阻まれるというにすぎず、控訴人牛川が本件土地を明渡すことによつて蒙るであろう前記生活上の不利益に比すれば、なお、受忍しえない程のものではないというべきである。
もつとも、本件土地の賃借人である控訴人赤松は本件建物を自ら使用するものでなく、これを一宮タカ子及び控訴人牛川に使用させているのであつて、控訴人赤松の本件土地利用による利益は右建物の家賃による収益にすぎないといえよう。しかし、前記認定のように、右一宮及び控訴人牛川は控訴人赤松と親族関係にあるものであり、控訴人赤松は本件土地賃借当初から本件建物を一宮に賃貸して前記営業をなさしめ、控訴人牛川は一宮の使用人としてこれに入居し(控訴人赤松からすれば転借人に当る。)その営業をまかされているものであつて、このような事情のもとにおいては、借地法四条一項による更新拒絶の正当事由の有無を判断するに当つて、単に土地賃貸人である被控訴人らと土地賃借人である控訴人赤松との間の当該土地に対する必要程度を比較考量するのみならず、現実に借地上の建物を使用する借家人もしくは転借家人である一宮及び控訴人牛川の事情をも借地人側の事情として併せて考慮するのが相当である。
そして、前段認定によれば転借人たる控訴人牛川の本件土地に対する必要程度は賃貸人のそれに比して著しく高いものと認められ、前記認定の諸事情のもとにおいては、被控訴人らの立退料(その金額については当裁判所の釈明に対し特に明示しない。)の提供によつては正当事由を補強し得ないものと解する。
なお、被控訴人らは、控訴人赤松は無断増改築禁止の特約に反して昭和三二年頃本件建物の中二階を中二階建に改築し、信頼関係を破壊したと主張する。そして右改築が行われたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、右改築は昭和三五年頃被控訴人ら先代末吉の承諾を得てしたものであることが認められる。
そうすれば、被控訴人らが本件土地賃貸借契約の更新を拒絶する正当事由は存しないものというべきであり、右更新拒絶により控訴人の土地賃借権が消滅したことを理由に本件土地明渡を求める被控訴人の請求は失当である。
三次に被控訴人が予備的に主張する賃料不払いを理由とする契約解除の当否につき検討する。
<証拠>によれば、同控訴人が昭和四二年一二月一日その月分の地代を被控訴人孝昭方に持参したところ期間満了したからもう地代は一切受取れない旨受領を拒否されたので、以後供託を続けていること、が認められる。もつとも右証拠によれば、供託書上では被供託者を「住所岡山市天瀬一〇二番地、亡黒崎末吉相続人」とし供託事由欄に「被供託者死亡により相続人不明」と記載されていることが認められるが、右のように供託事由を相続人不明とし、そのために供託書が被控訴人らに送付されず供託の通知がなかつたとしても、それらは必ずしも供託の有効要件ではないから、前記認定のように、弁済の提供をして債権者より受預を拒否されたとの供託の要件事実を充足している以上、右供託は有効というべきである。
そうすると、控訴人赤松の賃料供託は有効であつて、その支払義務は免れているものといわざるを得ず、被控訴人らの賃料不払いを前提にする予備的主張もまた失当である。
四よつて被控訴人らの本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却すべきであり、これと結論を異にする原判決を取消し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(渡辺忠之 山下進 篠森眞之)
別紙目録(一)、(二)別紙図面<省略>